桂さくらこ

追悼文


桂さくらこ

 

「方舟」に投稿し始めたのは、いつ頃だったのか調べてみました。

投稿用紙を見てみると、1992年の6月号が初めてのようです。

 それから月日が経ち、勝手に木村先生と仰いでおりました。

木村先生ご夫妻と一緒に、毎月の句会に、NJの木村ご夫妻をピックアップして、ソーホーの太田房子同人のお宅へ行くのが楽しみでした。みんな若くてエネルギーがありましたね。

 句会が終わった後は、持ち寄りの食べ物などでワイワイした思い出もたくさんあります。行き帰りの車の中でたくさんの話をしたことは、懐かしい思い出です。

 高山百樹宅での、「山菜句会」、セントラルパークでの吟行などなど。あの時の「方舟」は乗組員満載でした。その中心にいつも、木村丹乙船頭がおりました。

 現在も、形を変えておりますが、木村先生が敷いてくれた道を続けています。

 今回、過去の自作を調べていると、毎月送られてきた「方舟」に添付して下さった、言葉で、忘れられない言葉、しかし、しばし忘れている言葉に再会しました。

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世には自由形式の句もあるのですが日本語詩(俳)型には、ふしぎなリズム感があって、その日本語リズムにはずれると、何となく なじめない気がします。

 日本語俳句は「日本語なりのリズム」が、大きな要素になっている日本独特の詩型で、それが醸す詩(俳)情はユニークと思っています。 

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これは、私の句で、中七が六になっていた句に対して、説明してくれたのでしたね。 

いつになってもリズムをとれない生徒でありますが、諦めないで頑張ろうと思っています。



追悼句


手ならいの成果未だに雪の果て  


                 さくらこ

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