丹乙句集
風子選
底なしの井戸に吊るせる西瓜かな (季節がらこの句にしましょうか)
緑陰に口いそがしき野の兎
入り口と思えば出口かおかおかお
踏み抜きし床より吹雪ふきあぐる
放心のからすを烏つゝく秋
さくらこ選
消え去りし草矢の行方ひつじ雲
新じゃがの転げてまはる昼厨
ぶらんこを漕げば天まで遊園地
キワ選
芽桜のそよぐにっぽんじんの家 1996 4月
初夏の夢の気泡を透かし見る 1999 5月
白光を虹に分ちて牡丹の芽 1999 5月
誰が霊ぞ木影縫い来る秋の蝶 2007 9月
鯉のぼりとほい記憶を泳ぎ来る 2008 5月
天の河沈める湖に掌を浸す 2009 1月
夏空に理想気体となりて浮く 2010 5月
我が庭にも中休みする渡り蝶 2012 5月
独り逝く黄泉平塚魂蛍 2012 8月
宇宙旅行のゆめ捨てきれぬ鯉のぼり 2014 7月
膝未だ小僧呼ばる米寿かな 2015 1月
ひたすらにトレッドミル漕ぐ春の夢 2015 3月
志津香選
確執は若き證か大夕焼け
びび割れし鏡に歪む銀河かな
窓枠に顎乗せて見る消えゆく虹
あるときは永遠の春宵ラビリンス
市朗選
元気いっぱいの壮年時代。乗ってます!
寒林の針研ぐ音をききて正午(一九七八・二)
青空を鹹湖の底に大揚翅(一九七八・八)
死ねるかと女訊ねる木の実のあお(一九七八・九)
入り口を開けば出口秋の暮(一九七八・十)
さて何処へ雨の都のかたつむり(一九九二・七)
次々と桃流れくる奇妙なり(一九九二・九)
愛妻への感謝の句。鬼灯は津貴子さんのシンボル。
鬼灯の灯すたそがれ抱え持つ(二〇一三・九)
飄々淡々として、、ゆったりゆったり。
ひょうたんと向き合いたしが顔わからず(二〇一五・六)
面影がうかんで参りますね--。
テリー選
初夏ギラリここは地の果てニューヨーク(5/14)
昼寝醒め脳の隙間にフランス語(6/14)
立春の犬を笑顔に描いてみる(2/15)
辞書をひくメガネぽとりと目借り時(4/15)
比呂志選
丹乙先生の古稀を挟んだヤング・オールドの時代の句群から選ばせていただきました。
わが骨の似合ふ壷ありチェリーパイ (1992)
今生も来世もへちま春よ来よ (1994)
青空をわが空と決め日記買ふ ( 〃 )
秋風や死とはふりむかざる未練 (1995)
荒野草の芽わが青山はいづくにと (1996)
嬰児のこぶし程と便りに蕗の薹 (1997)
地ははだれ人はまばらに春の村 ( 〃 )
秋立てり手摺れ激しき辞書数冊 ( 〃 )
稲妻の柱数百アパラチア (1998)
娘来て文月のあかりつけまはる ( 〃 )
胡禅靜選
確執は若き證(あかし)か大夕焼 (1988年7月方舟歳時記)
きらきらと新樹見上ぐる嬰児の目 (1996年6月山菜句会高山宅)
火の星も色やはらかし夕牡丹 (1996年6月)
使われぬ消しゴム固くなりて夏 (1999年7月)
紙コップわれを追ひ抜く暮れの街(1999年12月)
初風に旅への微熱くすぐらる (2000年1月)
来世の旅立ちはこんなであったのではと
春月を双手に受くる酔心地 (2001年4月)
句童(塚本 惠)選
春ふたたび三億五千万年の岩 (2001年)
ふはふはと春野に雲を連れ歩く (2009年)
琴を弾く埴輪春野をみはるかす (2010年)
たくましく汚れて初夏の人と魚 (2001年)
突如サイレン噴水やおら崩れ落つ (2003年)
いやおうは無しさっぱりと更衣 (2004年)
手の甲に皮膚のやまなみ冬至粥 (2002年)
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