齋藤比呂志
追悼文
齋藤比呂志
在米7年の後1994年に日本へ帰国し、暫くの間はファクシミリにて、方舟に毎月投句させていただきました。いつも締め切り間際あるいは寧ろ締め切り後が多かったかも知れません。毎月メタッチェンの木村先生のお宅へ国際電話を入れてから、ファックスの送信ボタンを押していました。そのとき電話の向こうに奥様の優しいお声を聞きいつもほっとした気持ちになったのを思い出します。また、当時毎月航空便で送られてくる方舟には 仮名用の薄い半紙に丹乙先生の手書きの短い文が冒頭のページにしばしばはさまれておりました。温かいお言葉や近況とともに時には貴重なご指摘・ご指導が含まれており、なかなか良い句の出来ない私にとっては大きな励みとなりました。それらは方舟の原本(志津香同人の紹介で入会させていただいた1992年4月号から2015年9月最終号まで)と共に今なお私の手元に大切にキープしてあります。毎月、誌の全体の編集や短評などを纏められたうえに、送付時にわざわざ前述のような一筆まで添えていただき、そのお心遣いに本当に頭が下がる思いでした。
今手元にある方舟をこうしてまた拝読しておりますと、先生のお声が短評や編集部便りからそして方舟の一枚一枚のページの句や文章のあいだからも聞こえて来るような気がしてなりません。
木村丹乙先生、本当にこれまでお世話になり、いろいろなことを教えていただき、長きにわたり楽しく方舟という素晴らしい俳句空間でご一緒させていただき、まことにありがとうございました。 今はメタッチェンの遠い空の彼方で 津貴子様と一緒に安らかにおやすみされていらっしゃるのでしょうか。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
追悼句
メタッチェンの空限りなく春暮色
遺されし手書きの小文春惜しむ
航跡は碧き果てへと桃の花
比呂志
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